スーパーカーブーム世代にとって「ランボルギーニBMW」と呼ばれていた車があります。それがBMW M1(E26型)です。開発から市販化への苦労と紆余曲折の歴史、レース戦績を解説します。
BMW M1が企画製造された背景
1972年にBMW本社の子会社となる「BMWモータースポーツ社」(Jochen Neerpasch)により、初の専用企画モデルが「BMW M1」モデル開発コード(E26型)となります。
E25型のBMWターボがショーデビュー
1972年には、モデル開発コードE25型のBMWターボ(コンセプトモデル)がショーデビューしています。市販のBMW M1(E26)に近いスタイリングです。当時のミュンヘン・オリンピックの記念カーでもあります。
- ガルウィングドア
- ターボエンジン
当時の欧州レース車両用途
国際自動車連盟(FIA)のグループ4/5規定のレースでは、スポーツカーのポルシェ934/935が席巻し、クーペボディのBMW635CSLでは、厳しい状況となっていました。このレースに勝利する事を目的として、E26型のBMW M1が開発されました。ただし、このグループの参加規定として、市販車のベース車両として、400台以上の市販車販売台数を確保する必要があったのです。
- グループ4規定(24か月間で400台以上の生産台数の確保が条件)
- グループ5規定(シルエットフォーミュラ)
ランボルギーニBMWと呼ばれた車
実際は、ランボルギーニ社と提携してミッドシップカーを作る予定が、失敗に終わった。
その逸話がランボルギーニとBMWが協業した車として語り継がれているのです。
BMW M1の特徴
当初の設計コンセプト
- フォーミュラーカーでも活躍したダラーラの創業者である、ジャンパウロ・ダラーラが携わっていたを中心としたランボルギーニ社で設計
- イタリアのボディスペシャリスト「マルケージ(Marchesi)」社が生産した鋼管フレームを採用
- FRP製ボディパネルはイタリア・モデナの「イタリアーナ・レジーナ(Italiana Resina)」社。
- ミッドシップにBMW製M88エンジンを搭載
- ジウジアーロデザインのFRPパネルで空力を確保
- 最終組み立て工程は、サンタ・アガータ・ボロニェーゼのランボルギーニ本社
ジウジアーロのデザイン
当時のイタルデザイン社を先導する「ジョルジェット・ジウジアーロ」のカロッツェリア(イタリア語で馬車や自動車の車体をデザイン・製造する業者)にボディデザインを委託。
リヤデザイン後部にBMWエンブレムを二つ配置するなど、今でも斬新なデザインとなっています。
製造はランボルギーニ社に委託するも開発遅延と中断
BMW M1はエンジン搭載型式としてミッドシップを採用した。
ミッドシップの駆動方式はBMWとしての経験が無く、イタリアのスーパーカーメーカーのランボルギーニに開発とシャシ関連の製造を委託した。試作車のテスト走行まで完了したものの製造スピードが遅く、BMWとランボルギーニの提携関係は解消する結果となった。
鋼管スペースフレームを採用
当時のスーパーカー同様、鋼管スペースフレームにより、エンジンをミッドシップに搭載し、リヤドライブで駆動しています。鳥かご状のスペースフレームは、大規模な生産設備が不要で、一般的な量産自動車のモノコックに勝る強度と剛性が簡単に得られ、軽量でスペースを取らない点や、改造や修復も容易なことなど、利点は非常に多い。その特徴から、レーシングカーや少量生産のスポーツカーに採用例が多くあります。
一方、モノコックのパネル圧縮整形と比べ、溶接個所が多く大量生産に向かない欠点があります。
生産は、レースカーの製造経験の豊富な「ジャンパオロ・ダラーラ」が率いるダラーラ社に委託。
M1ネーミングの由来
BMW M1の名前は、わずか「1.14メートル」の車高の高さに由来するということです。
アートカーとして有名
世界的アーティストのアンディ・ウォーホルがこのモデルの塗装を手がけ、路上を走る芸術作品(アートカー)に仕上げたことも、知名度を上げる理由となりました。
ランボルギーニとの提携解消後の生産
初期の組み立て工程
- FRPパネル:イタリアのモデナの「イタリーナ・レジェナ社」で製造
- シャーシはモデネーゼ会社で製造
- ボディ・インテリア:イタリアのトリノ:Italdesign社により、初期組み立てを実施
最終組み立て工程
- ドイツ・シュトゥットガルトのボディ製造会社(コーチビルダー)で旧西ドイツの「バウア(Baur)」社に最終組み立てを委託
- 検査工程を実施
- 完成車両は、BMWモータースポーツ社へ納入