BMW(ビーエムダブリュー)は、自動車とオートバイを製造するメーカーです。ドイツ語: Bayerische Motoren Werke AG、バイエルン発動機製造株式会社)が略称です。ドイツのバイエルン州ミュンヘンに本拠地があります。以下、創生から現在までのBMWの歴史・変遷の一覧を記載します。
BMWの意味や名称
BMWのロゴマークの歴史
BMWの歴史一覧
BMWの歴史。創生から現在までの歴史一覧です。
1911年:グスタフ・オットー航空機製造会社
BMW社のルーツ・前進としては、1911年3月15日、ドイツ南部のバイエルン地方のミュンヘン郊外にグスタフ・オットー氏が「グスタフ・オットー・フルークツォイク・ヴェルケ」(Gustav Otto Flugzeug Werke・グスタフ・オットー航空機製造会社)を設立。主に航空機の機体製造会社となります。グスタフ・オットー氏は、ガソリンエンジン理論を確立したニコラウス・アウグスト・オットーの息子になります。1916年にオットー会社が倒産。
1913年:ラップ エンジン製造会社
BMWの創設者・創業者(カール・フリードリッヒ・ラップ氏)
航空機関連企業役員のカール・フリードリッヒ・ラップ氏が、1913年10月27日に「ラップ・モトーレン・ヴェルケ」(Rapp Motoren Werke・ラップ エンジン製造会社)」を設立。ミュンヘン郊外で航空機や船舶用のエンジン製造の会社となります。ラップエンジン社は水冷4気筒の航空機用エンジンを航空機製造会社に納入するようになります。入社間もない、若きマックス・フリッツ氏はラップ社で、その才能と技術力を開花させました。
その後、フランツホップ氏は、ラップ社とフリッツ氏の技術を高く評価し、同社の経営権を取得し、創業者のカール・ラップ氏は会社を去りました。
オーストロダイムラー社
ドイツダイムラー社から、技術資本供与を受け、オーストリア(オーストロ)で自動車生産を開始したのがオーストロダイムラー社です。オーストロダイムラー社のフランツ・ヨーゼフ・ポップ氏は、技術力の高いラップエンジン社へ航空機のエンジン生産を委託した。フランツホップ氏は、ラップ社のマックスフリッツ氏の才能と技術力を評価し、引き抜き工作を開始。
1914年:創業者のカール・ラップ氏から親族へ株式譲渡
BMW創業者のカール・ラップ氏から株式を譲り受けた親族のマックス・ウィードマン氏は、ラップ社の株式の約80%を保有していました。
1916年:バイエリッシェ・フルークツォイク・ヴェルケ株式会社
1916年3月7日にグスタフ・オットー氏は、グスタフ・オットー航空機製造会社とラップ エンジン製造会社を合併します。
「バイエリッシェ・フルークツォイク・ヴェルケ株式会社(BFW/Bayerische Flugzeug Werke)」というバイエルン航空機製造という名称で設立し法人登記を行っています。
グループとして第一次世界大戦前に創業。ドイツのミュンヘンで製造開始。エンジン・機体の一環生産を実施。航空機の製造を禁止されBMW製のM2B15型エンジンを購入してモーターサイクル「ヘリオス」を生産。
BMWの創成期は、航空機をはじめとした各種汎用エンジンの製造からスタートしました。日本がまだ大正5年の頃です。
1917年:バイエリッシュ・モトーレン・ヴェルケ有限会社(BMW社)
1917年、会社はBayerische Motoren Werke GmbHへ社名を変更します。その後、1917年7月21日に「バイエリッシュ・モトーレン・ヴェルケ有限会社」(BMW社)に改名して現在に至ります。
その名の通り、ドイツバイエルン州のエンジン製造メーカーとして企業活動を始めます。同年、10月には現在のエンブレムマーク(ロゴ)を帝国特許事務所(No221388)に登録。
BMWロゴ・マークの由来としては、白は雲、水色は青空、クロスした十字は航空機のプロペラをイメージしています。当時は、現在のような大きな規模の会社ではなく、ダイムラー社(現メルセデスベンツ)や他のドイツメーカーに航空機関連のエンジンを提供する関係でした。
ミュンヘンの本社をバイエルンに移転。現在のBMW(Bayerishe Motoren Werks)に社名を変更し会社を設立。現在のロゴマークのベースが商標登録されました。
1918年:Bayerische Motoren Werke GmbHは株式会社へ
1918年7月に同社の筆頭株主であるマックス・ウィードマン氏は、公的有限会社の設立の道を開きました。1918年8月13日、BMW AGは商業登記所の新会社として入社し、BMW GmbHから製造資産、受注伝票、労働力をすべて引き継いでいます。
旧会社は「Maschinenwerke Schleisheimerstrasse」と改名され、1918年11月12日に上場廃止。
BMW AGの株式資本は1,200万株にのぼり、3グループの投資家が加入しました。
この株式の3分の1は、バイエルシェ銀行とノルデュドチェ銀行が同額で取得した。
ニュルンベルクの生産者であるフリッツ・ノイマイヤー(Fritz Neumeyer)は株式のさらに3分の1(4百万株の価値)を取得。これにより、資本金の50%(600万リーチマーク)がバイエルンの企業や銀行の手に渡ることが保証されました。
バイエルン州政府は、この強力な地元の株式保有に最大の価値をもたらしました。
1918年8月、Bayerische Motoren Werke GmbHは株式会社になりました。
しかし、第一次世界大戦の終結により、ベルサイユ条約がドイツによる航空機エンジンの製造を禁じたため、航空機エンジンの製造は停止しました。そのため、BMWはその焦点を鉄道のブレーキと組み込みモーターに移しました。
これは非常に成功し、1920年にベルリンに本拠を置くブレーキ会社Knorr-Bremse AGがBMWの過半数の所有権を取得し、会社を統合してミュンヘンに移転しました。バイエリッシェモトレンヴェルケGmbHが独立企業として一時的に姿を消しました。
1919年:ベルサイユ条約により、航空機関連は製造禁止
航空機用水冷直列6気筒エンジンⅣ型でツェーノディーマ氏により高高度飛行記録(9760m)を樹立。1919年6月28日に第一次世界大戦後のベルサイユ条約により、航空機関連は製造禁止となりました。
エンジニアのマックス・フリッツを雇用し、フリッツ氏の設計よりBMW社として初の航空機エンジン「タイプIIIa」を生産開始。
1920年:モーターサイクル用のM2B15型エンジン完成
1920年には、エンジニアのマーティン・ストールがダグラス500のフラットツインエンジンをベースに研究開発に取り組み、モーターサイクル用のM2B15型エンジンが完成します。
1921年:M2B15型エンジンの生産を開始
M2B15型エンジンの生産を開始。M:モトレーン、2:2気筒、B:ボクサーの略称となるフラットツイン494cc(68x68mm)のサイドバルブエンジンはニュルンベルクのビクトリア社へ納入しています。複数のメーカーに供給され好評を博しBMW製エンジンとしての実力を付けていきます。
1922年:BFW社と合併
バイエルン航空機製造会社(BFW/Bayerische Flugzeug Werke)と合併しモーターサイクルメーカーとなった。BMWの社名は継続。マックス・フリッツは、チーフデザイナーとしてモーターサイクルの開発に着手。
1922年、主要な投資家であり航空機建設のパイオニアであるカミーロカスティリオーニがクノールブレムセAGの主要株主でした。彼はBMWの会社名を買収し、従業員、製造施設、会社のロゴとともにエンジンの建設業務を引き継ぎ、すべてをBFWのBayerische Flugzeugwerke AGに転送しました。同年、同社はレルシェナウアー通りにあるBFWの工場棟に移転し、その名前をバイエリッシェモトレンヴェルケAGに変更しました。このようにしてBMWの名前が再び商業登記所に登場しました。
1923年:2輪車R32製造開始
乗り物としては1923年の2輪車の製造開始が先になります。今でも受け継がれるのが水平対向2気筒(フラットツイン)のとシャフトドライブ駆動の組み合わせによるR32型オートバイです。第一次世界大戦後の復興の波に乗って生産台数を伸ばし、BMW製オートバイの生産台数は着実に伸びはじめます。企業規模拡大の中で欧州レースでも次々に好成績を挙げ、最高速の記録も向上させています。新興メーカーであったBMWブランドはイメージアップと名声・評判を高めていきます。
現在は、オートバイ生産販売部門として、BMWモトラッド(BMW Motorrad)として独立した部門となっています。
BMW R32:494cc/8.5ps/3200rpm。空冷水平対向2気筒サイドバルブ(SV)のM2B15エンジン 3速マニュアル、最高速度95km/h
1924年:2輪車R37型登場
- 12月10日:ドイツベルリンで初のレース用モデルでOHVを採用したR37型がショーデビュー。
- 494cc/16ps/4000rpm。空冷OHV水平対向2気筒のM2B36エンジン・シャフトドライブ駆動
1925年:2輪車R39型登場
- 初の単気筒モデルとなるR39型がデビュー。
- 247cc/6.5ps/4500rpm。空冷OHV単気筒・シャフトドライブ駆動
1928年:ディクシー社買収
企業規模の拡大に伴い、イギリスのオースチンセブンをライセンス生産する自動車製造工場(ディクシー社)を買収。
BMW初となる4輪車の生産を開始
小型車生産の認可得て、自動車ビジネスも軌道に乗り、現在の自動車製造メーカーの基礎が確立しました。当時は、特徴的なボディフロント部のキドニーグリルはありません。1928年に航空機製造部門をBFW社として分離しました。
- BMW Dixi3/15 DA-2(1928年式)
- エンジンは水冷4サイクル直列4気筒SV(748cc)
- 15ps/3000rpm、最高速度75km/h、定員4名
1929年:ロゴイメージ(プロペラ説)発表
広報部門より、BMWロゴマークは「飛行機のプロペラをモチーフとし、白と青のカラーは雲と青空をイメージしたものである」との公式発表が行われた。
それ以降、現在に至るまで、BMWロゴマークの由来として世間一般に浸透した。
航空機をベースとしたエンジン技術を有するブランドイメージの向上に寄与している。
1932年:3/20AM1型デビュー
「3/20 AM 1」型の自社生産モデルをデビューさせる。
1933年:キドニーグリルの起点・303型発売
航空機用9シリンダー空冷星型エンジンの132形式は、名声を広める。
1935年:315/1ロードスター型登場
335が登場。3.5L直列6気筒OHVエンジン(90ps/Max145km)を搭載。7シリーズの祖先にあたる。
- BMW 315/1 Roadstarが登場
- 全長×全幅×全高 (m) 3.83×1.44×1.29
- 水冷4サイクル1.5リッター直列6気筒OHV(1490cc)
- 40ps/4300rpmで最高速度125km/h。定員2名で生産台数は242台
1936年:BMW328ニュルで初勝利
- BMW326セダン:直列6気筒(M78)エンジン/50ps/4MT搭載、アウトバーンを110km/hで駆ける性能。1941年までに1万5936台が生産された。
- BMW327グランドツアラークーペ:
- BMW328スポーツカー:2.0Lのレースカーがニュルブルクリンクでデビュー初勝利の快挙
- 2輪の水平対向2気筒エンジン(500cc)のルーツであるR5が登場。
1938年:航空機ジェットエンジン開発着手
BFW社は、メッサーシュミット社と改称し、航空機用のジェットエンジンの開発に着手。
328登場。H型のラダーフレームとアルミ製のオープン型ロードスターボディ。アルミのシリンダーヘッドや3連キャブレターを装備した2L直列6気筒エンジンを搭載し、ミッレミリアやルマンで優勝。327はラグジャリークーペとして登場。6/8シリーズの祖先にあたる。
- BMW328ウェンドラー(1938年)
- 水冷4サイクル6気筒OHV(1971cc)
- 80ps5000rpm、MAX150km/h
1939年:ドイツ軍の戦闘機用エンジンの製造開始
ドイツ軍の戦闘機用エンジンの製造を開発・製造を開始。
1940年:イタリアのミッレミリア耐久レースで優勝
イタリアのミッレミリア耐久レースで328ツーリングクーペがチーム総合優勝
1941年:直列6気筒エンジンの量産1万基達成
- BMW326セダン:1936年~1941年まで、直列6気筒エンジンが1万5936台生産
- 二輪R75:空冷水平対向2気筒OHVエンジン、排気量745cc、最高出力26ps/4000rpm
シャフトドライブ駆動のRシリーズ原型が登場
1942年:メッサーシュミットMe262試作機にBMW製エンジン搭載
BMW003型のジェットエンジンがメッサーシュミットMe262の試作機に搭載
1945年:戦争終了後、軍用向上の生産停止
第二次世界大戦の敗戦により軍用関連の製造を理由に工場を3年間停止。
1950年:戦後の四輪自動車の生産開始(501型)
戦後、初の四輪生産を開始し、501型が登場。フェンダーラインは丸みがあり「バロックエンジェル」と呼ぶ美しくボディライン。
- モーターサイクルR25(1950~51年)
- 全長2073mm×全幅750mm×全高710mm、ホイールベース1350mm。車重140kg。
- エンジンは空冷単気筒OHV、排気量は247cc。
- 最高出力は8.8kW/5600rpm。4速。
1953年:501型生産継続
- 501型(1951~1954年)
- 直列6気筒OHV:1971cc
- 65ps、最高時速135km/h
- FR/4MT
- 全長4.73m全幅1.78m全高1.53m重量1340kg
1954年:502型登場
戦後501型の後継モデルの502型が登場。
直6エンジンをオールアルミV8エンジンに置き換え。当時の最速サルーンとなる。
- BMW3200Sは、502型の最終モデル
- 排気量3168ccの水冷V型8気筒OHV
- 全長4.73m全幅1.78m全高1.53mの堂々たるボディとハイパワー
1955年:507クーペ登場
507型は優雅さと気品を兼ね備える伝説のカブリオレ・クーペボディ。503型は2+2のモデル。
- ホイールベース:2480mm
- 車重:1330kg
- エンジン:V型8気筒OHV(アルミニウム合金製ブロック)
- 排気量:3.2リッター
- 吸気系:ゼニス製キャブレター、ハイリフトカム、ポリッシュ仕上げの燃焼室
- 圧縮比:7.8
- トランスミッション:4速MT
- 最高出力:150馬力
- ファイナルレシオ:3.70(スタンダード)、3.42/3.90(オプション)
- スペック:0-100km/h加速11.1秒、最高速196.3km/h
イセッタ
イセッタ250(イタリアイソ社からのライセンス生産。エンジンは2輪用を流用)。イタリアイソ社が1953年に誕生のイセッタはライセンス生産により、BMWで製造されBMWイセッタとなります。イセッタ250は、オートバイR25の245cc空冷単気筒OHV型エンジンをリヤに搭載。
駆動伝達方式は、チェーン式を採用。タイヤが4本ある4輪車となっています。
1956年:503型登場
- 503型は2+2のモデルが登場。さらに、507 Roadster(1956-1959年)が登場。
- エンジンは、90度V8型OHV (3168cc)
- 150PS
当時メルセデス300SLの対抗馬として生産されたモデル。
コスト高で生産台数252台のみで打ち切られた。
1957年:バルコムより日本輸入販売開始
日本向け輸入業者(インポーター)として、現在のバルコムトレーディングカンパニーインコーポレーテッドが営業開始(日本自動車輸入組合加盟は1965年11月~1981年10月まで)
イセッタの後継モデルとなる600型がデビュー。
1957年:E113/R114/E120登場
NEW CLASS(ノイエクラッセ)と呼ばれるE113系セダン、E114系2ドアの02シリーズ、E120系クーペが続々と登場。現行シリーズモデルの先祖がこの時に登場した。この時代よりモノコックボディが採用された。
1959年:700クーペ登場
経営不振に陥っていたBMWではダイムラー・ベンツへの身売りが計画されていた。当時のBMWはドイツ国内でも零細な自動車会社であり、ベンツ10%とBMW30%の大株主であるヘルベルト・クヴャントも吸収合併の計画には賛成であった。しかしながら労働者と労働組合からの反対は強固であり、計画は実行直前に断念。ヘルベルトがBMW株を50%まで買い増し、ダイムラー・ベンツによる吸収が回避された。700クーペはセダンとクーペ、カブリオレのボディタイプ。R67型オートバイのエンジンベースで空冷水平対向2気筒OHV(697cc/32馬力)をリアオーバーハングに搭載したRR駆動形式。
最高速度125km/hをマークした。700シリーズは一定以上の売れ行きを示した。
1961年の1500「ノイエ・クラッセ」登場までの繋ぎとして経営・収益に貢献したモデル。
1961年:1500型発売
1962年:3200CS Bertone登場
3200 CS Bertone登場。ベルトーネによるスタイリッシュなクーペ。V8 3.2Lエンジンを搭載
1965年:1800型登場
- 1800型。(1963~1972)。1773ccの排気量。
- 1500型をベースとして、1600、1800、2000と排気量拡大版が1972年まで生産される。
1966年:2000型登場(ノイエクラッセ)
- ノイエクラッセ2000登場。直列4気筒2Lエンジンを搭載
- 1600-2型を発売。2ドアクーペ
1968年:2002型発売
2002型tiiを発売。2ドアクーペ
大型サルーンのベースとなる6気筒エンジンの2500、2800型が登場。2002は、10年間で86万1940台を生産。コンパクトなスポーティセダンの見本となった。1600-2型を直系とする2002型(1968~1975/7)は、2000/CC型に搭載されていた2リッターエンジンを搭載する。
性能アップしたti型、キャブレターから燃料噴射にチェンジしたtii型が追加。
ハッチバックのツーリング、カブリオレ追加されたが、マイナー後はタルガトップのルーフに変更。
搭載するエンジンは、水冷直4気筒1990cc、2002はソレックス2バレル1キャブレター100PS/4速MT。5速MTとZF製3速ATがオプション。
ハセガワ製プラモデル
1971年:E9型の3.0CSLがデビュー。(1971~1978)
直列6気筒エンジンと美しいクーペボディでレースシーンを飾る。
2000CSクーペは、進化の過程で、2.8→3.0ツインキャブレター(3.0cs)インジェクション(3.0csi)となる。
さらに、3.0csiを200キロ軽量化した3.0CSLがデビューし、その後、3.2→3.5リッターへ排気量を拡大し、3.5CSL(1973)へと発展する。タミヤのプラモデルやラジコンカーでおなじみのMカラーが印象的なモデルである。
1972年:5シリーズの初代E12型デビュー
BMWモータースポーツ社(BMW Motersport Gmbh)を設立し、BMWから独立した車両開発とレース参戦などのモータースポーツ活動を開始
1973年:2002ターボ(世界初ターボ車)登場
2002ターボデビュー。世界初のターボエンジン搭載。2002tiiの2リッター直列4気筒SOHCエンジンにターボチャージャーを搭載。フロントもベンチレーテッドティスクブレーキを装備。初代3シリーズ(E21/1975~)の前モデルである2002型(1973~)は、現在でも熱烈なファンが多いが、市販の自動車では世界初のターボチャージャーを装備した2002ターボがデビューした。
当時としては脅威の170馬力。軽量ボディとドッカンターボは暴力的な加速を披露した。航空エンジンのノウハウを自動車へフィードバックした技術力の高さを物語る。以後、市販車、レースカーを問わずターボエンジンの活躍は言うまでもありません。余談だが、日本車のターボは日産430型(セドリック・グロリア絶版車)から。
ドイツミュンヘンにBMWミュージアム・オープン。BMW Welt という新車ショールーム、BMW Museumという歴代の車種を勢ぞろいした巨大な自動車博物館となっています。
1975年:3シリーズE21型デビュー
3シリーズの初代E21型デビュー。グループの屋台骨を築いた最多売グレードとなる。
1976年:6シリーズE24型デビュー
6シリーズの初代E24型デビュー。「世界一美しいクーペ」形容されるスタイルを持つ。
1976年:7シリーズ初代E23型デビュー
7シリーズの初代E23型デビュー。専用のプラットフォームシャーシで設計、
1977年:3シリーズ初代E21型デビュー
E21型の323iデビュー
1978年:M社、初のM635CSiデビュー
「M1」に搭載されたM88型エンジン(正確にM88/1型)をE24/6シリーズに搭載したM635CSiがM社初の市販モデルとして登場
1979年:スーパーカーM1デビュー
ミッドシップスポーツカーのM1がデビュー。ミッドシップカーの経験が浅かったBMWはランボルギーニと提携(1976)し、ボディ開発をランボルギーニが担当した。その後に提携は解消(1978)。
マルチゲージのセミスペース構造のシャーシは最終的にシュトゥットガルトのバウア・ボディ製造会社で生産された。
1979年~1981年(生産台数477台)
全長x全幅x全高:4360x1824x1140mm
直6DOHC24バルブ/5MT、277ps/6000rpm、33kgm/5000rpm