六本木のカローラ(BMW E30型)とは?

3シリーズ
BMファン君
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BMWの3シリーズが「六本木カローラ」と呼ばれた理由を解説します。

六本木カローラの概要

六本木のカローラと呼ばれた理由

1986~91年のバブル期に東京都港区六本木という特定地域において、高級外車BMW E30型の発生頻度が、国産大衆車のトヨタ・カローラ並みに見られました。
その情景を表現したものが六本木のカローラとなった理由です。

バブル期のBMWの代表的な車種

1985年のE30デビューと当時のバブル期が重なり、国産車で言えばクラウンやマーク2、ソアラなどのスーパーホワイトのボディカラーのハイソカーが溢れていました。親の車としてだけでなく、ローンで購入した若年層も多かったことでしょう。
そうした車をギャルのナンパ目的に使用したのですが、BMWのナンパ用途としてのポテンシャルは高く、国産ハイソカーの比では無かったようです。価格的にもクラウンのプラス100~200万で購入出来たことから、当時のプチバブル層にも容易に手が出た価格帯だったことです。国産ハイソカーに飽き足らない小金持ち層にウケたのかもしれません。
六本木のジュリアナ東京などのディスコも社会現象的ブームとなり、ディスコ帰りのギャルを狙って、BMW3シリーズ(E30型)のナンパ車の人口密度が他のナンパスポットに比べて、異常に高くなったようです。これは、BMW 3シリーズ(当時のE30)が、東京・六本木という特殊なスポットで、当時の最多売車種・大衆車のトヨタカローラ並みに見られたことから、六本木では普通の車「六本木のカローラ」の形容詞が付く事になったのが背景・由来でもあります。

今のゆとり世代にとっては、なじみの薄いキーワードですが、バブル世代にとっては「六本木のカローラ」の意味は簡単にわかることでしょう。現在、都内ではバブル期よりも高い確率でBMWとすれ違うケースが多く、六本木だけでなくその普及率が向上、一般化したとも言えます。

六本木のカローラとは、BMWのE30型を指す

六本木のカローラとは、ビーエムダブリューのE30型を指します。
BMW3シリーズとしては、2代目となるのがBMW E30型です。BMWの主力モデルは4ドアセダンであり、クーペ、カブリオレ、ツーリング、M3というラインナップが完成したのはE30型からです。
クーぺモデルにはM3というスポーツ専用にチューニングされたモデルが存在し、ドイツツーリングカー選手権(DTM)やグループAのレースシーンを席巻したM3は、1991年の生産終了まで約18000台が生産されました。E30型全体としては、約234万台が生産されたヒットモデルです。

コンパクトなボディがもたらす、キビキビしたハンドリングは、E30でしか味わえない。まさに日本の道路事情にはベストマッチのサイズでした。現在でも中古車市場で程度の良いモデルは高値で取引されているようです。

カローラE9#型、BMW E30型の販売台数

バブル期のカローラ「6代目 E9#型(1987年 – 1991年)」は、最盛期の1990年の年間30万台という販売記録を誇っていました。今のプリウスのように、どこでも見られる車種でした。実際、BMW E30型も販売台数が多かったとは言え、日本では年2万台程度と比較の台数ではありませんが、バブル期と重なり、諸費用込400万円超の車が売れに売れていました。
また、E30はクーペとセダンの両方があり、当時はクーペモデルの人気も高かったのです。

BMW E30とサイズが近いのではなく、台数としての比喩

ボディサイズが近いからという説明をしているサイトもありますが、誤りです。
「カローラのように、どこでも見られる大衆車。という比喩」になります。よって、サイズ感がマークⅡよりもカローラの方が近いから、という説明は誤りです。

カローラE9#型のボディサイズは、全長4195mm、全幅1655mmとE30よりも一回り小さいサイズです。一方、E30は、全長4345mm、全幅1680mmと現在のセグメント基準とした場合、当時のカローラとは別セグメント・カテゴリです。
当時、実際の見た目でも、BMWの醸し出すオーラは、サイズ感の近いカローラよりもマークⅡレベルの車格以上のインパクトがあったのです。(ここが重要)

E30の同じ性能の日本車としては、FR、直列6気筒のマークⅡ以上を指し、当時のハイソカーと呼ばれたモデルになります。当時のハイソカーは、デジタルメーター、電動格納式ドアミラー、車速感応ドアロックなど、最新の装備を備えていました。
エンジンもDOHC24バルブ、ツインターボなど、エンジン、装備とも圧倒的なハイテク装備を誇る日本車でした。しかし、それでも簡素なBMWをこぞって購入したのは、ボディサイズやハイテク装備ではなく、BMWという外車(左ハンドル)のインパクト、オーラを求めていたのです。
価格的にもカローラの約3倍、マークⅡの約2倍もするE30が売れていたのです。

当時のライバル達との関係

当時の輸入車もメルセデスE190、アウディ80に加えて、ボルボやサーブなどのマイナー系もそれなりの戦闘力があったことは確かです。
ボディサイズが大きな国産クラウンやセドリックよりも、コストパフォーマンス(六本木での特殊用途)に優れており、左ハンドルと豚鼻グリルの人口密度が異常に高かったことがBMW E30が「六本木のカローラ」と形容されたことにも繋がります。現在の3シリーズの方が、当時の流通台数よりも多く、実際の普及率で言えば、現在の方がカローラになっているとも言え、六本木での特殊用途として考えると、ポテンシャルは大幅にダウンしていることは言うまでもありません。

六本木カローラとバブル経済

バブル時代、バブル期とは何か?。当時の六本木カローラを取り巻く時代背景やバブル期の自動車業界、六本木に関連する事情を解説します。

バブル期、バブル時代

1986年12月から1991年2月までの間に、日本における資産価格の上昇と好景気によって起こった一連の社会現象を指します。バブル期や平成景気、昭和・平成バブルなとども呼ばれる。土地購入者、株価の上昇などが代表的な事例で、高級車・外車ブームもその流れです。

ハイソカーブームって何

ハイソサエティカー(High society car)和製英語の略語であり、上流階級層をターゲットとした車種を指します。1981年のソアラ2800GTの登場を機に自動車に対する高性能と高級化路線に火が付きます。バブル景気の余裕と共に、日本車としても量から質へ、ユーザー嗜好が変化した時期でもあります。

トヨタクラウンやマーク2の三兄弟(クレスタ、チェイサー)のスーパーホワイトのボディカラーにダークレッドの内装が爆発的な人気を博します。
バブル期の中期では、このハイソカーブームにより、若者がカローラ、マーク2という段階的なステップアップを飛び越えて、いきなりクラウンに乗る事象も見られました。トヨタの2000ccのDOHC24VAUVEに加えて、ツインターボを積んだ1G-GTEUエンジン搭載車も人気となりました。TWINCAM24やGT-TWINTURBOのエンブレム、デジタルメーター、車速感応集中ドアロック、電動格納式ドアミラー、モケットシートも象徴的な装備でした。

「いつかはクラウン」って何

1983年(昭和58年)の7代目クラウン(MS120型)のCMにて登場したキャッチフレーズです。
トヨタカローラの次の乗換え車として、コロナ、カリーナに乗り換え、次は、マーク2、クレスタ、チェイサーに乗り換え、最終的にクラウンに乗り換えることを指します。ヒエラルキー(階層構造)としての成功体験とバブル期の上昇志向、経済発展をマーケティングとして表現したCMになります。CMは石坂浩二氏を起用していました。それも、クラウンの上位クラスとしてセルシオ(LS400)やクラウン・マジェスタが登場したあたりから、「いつかはクラウン」フレーズが崩壊していきます。

「シーマ現象」って何

500万を超えるセダンがバカ売れしたバブル期末期を象徴するキーワードとして「六本木カローラ」に近い存在感があります。バブル期の末期である1990年に登場したY31初代シーマ。セドリック、グロリアをベースモデルとして、丸みを帯びたボディは、クラウンとは異なる優雅さがありました。255psを達成した3リッターV型6気筒DOHCシングルターボエンジン(VG30DET)は、トヨタのハイソカーセダンを完全に蹴散らすだけのパワーを誇っていました。
柔らかいリヤサスがフルボトムし、フロントアップしながら豪快に加速する走りは、信号グランプリでも若造のスポーツカーに負けない直線番長も人気の理由でした。
当時は当たり前だったセンターピラーレスのハードトップと「セドグロよりも低い車高」も人気の理由でした。また、絶壁インパネ全盛の日産車の中でも丸みを帯びたインパネもシーマの存在感を際立たせていました。

これは、トヨタ・ハイソカー全盛の中で、スーパーホワイト、四角い立派なボディを避けて、周りとは一味違う高級セダンを求めた層が多かったようです。これもバブル期がもたらした趣味趣向の多様性の現れでしょうか。そのシーマ人気もバブル崩壊と共に2代目に継承されずに終わってしまいました。

アッシー君、御用達のパフォーマンスカー

「アッシー君」というキーワードにも、触れておく必要があるでしょう。バブル期以降、女性の送り迎え用途として、便利に使われた送迎車を運転する運転手をアッシー君と呼びました。某女子大、短大の校門前には、アッシー君の高級車がズラリと並ぶ光景が見られたようです。
本命君は別におり、アッシー君は、送迎用途に使われるケースも多かったのですが、本命にジャンプアップ出来る可能性を求め、自発的なアッシー君を演じたのでしょう。そのようなアッシー君用途としても「六本木のカローラ」の戦闘力は高かったはずですが、本命君のトヨタカローラ1.5SEサルーンを凌駕するポテンシャルがあったかどうか・・・は定かではありません。

「赤坂サニー」よりも「子ベンツ」の方が有名

「コベンツ」と呼ばれたのはメルセデス190E(W201型)です。
車体の大きさは日本の5ナンバーサイズに収まり、上位モデル同様に質実剛健な設計がなされており、安全性能も見劣りしませんが、見かけが小ぶりな子ベンツでした。

現在のCクラスの先代モデルでもあり、1982年から1993年まで生産されたモデルです。(写真の右が190E)
主力のS/Eクラスに比べ、小粒感が「子ベンツ」と呼ばれました。
国産や欧州モデルと比べても十分高級なのであるが、ベンツとしては小粒感が漂ってしまうため、当時の六本木カローラを凌駕する力はありません。
別名「赤坂サニー」とも呼ばれますが、一般的な知名度は「子ベンツ」の方がメジャーでしょう。ネット上では同格に扱うケースがあるようですが、登場頻度は圧倒的に少ない造語のようです。

当時、カローラに対するライバル車の日産サニーを形容しましたが、実際の価格やステータス度では子ベンツの方が上です。しかし「赤坂」という場所や「サニー」と形容されたことで「六本木カローラ」に劣ることが、当時の実力を物語っています。

「三河ベンツ」に「広島ベンツ」

参考までに、バブル期を前後して、六本木以外で形容された名前を挙げます。
「三河ベンツ」(初代ソアラ初期型1981年-1986年)
トヨタの本拠地となる愛知県東部地域(三河)におけるトップモデルのソアラをベンツと形容したものです。

「広島ベンツ」(ルーチェHC型1986年-1995年)
ずばり、ベンツグリルにソックリであり、マツダの本拠地広島におけるルーチェをベンツと形容したものです。

当時のトヨタカローラ(1987)


バブル真っ盛りのトヨタカローラは、6代目となります。(FFとしては2代目)
搭載エンジンは、ハイメカツインカムという4A-F型1587cc直4DOHC16V(91ps)をとし、リアサスペンションには5リンク式リジッド。4WDも新たに設定し、とくに降雪地などで販売台数を伸ばしていきます。1989年5月になるとマイナーチェンジを行い、内外装のアレンジを変更するとともに、主力エンジンの1.5LをすべてEFI仕様にグレードアップしています。

バブル期に見合ったクラスを超えるハイクオリティ車に発展した6代目カローラは、モデル末期の1990年では車名別年間新車販売台数で、歴代最高の30万超を記録。2010年に同じトヨタ・ブランドのプリウスに抜かれるまで、年間新車販売台数の最多となります。まさに六本木のカローラの栄冠とベース車両となる「6代目カローラ」は、歴代カローラの中でも最高の盛り上がりを見せました。

スーパーホワイトのボディに赤茶の内装はトヨタの最量販車種に相応しいクオリティを兼ね備えています。六本木だけでなく東京、日本のセダンといえばカローラであったと言えます。

時期を同じく、シーマ現象やF1チームの買収。スーパーカーやロールスロイスの生産台数の1/3が日本で売れるなど車社会もバブルを謳歌した時代でもありました。

現在の六本木カローラ、どうなの

高級車が多い状況は変わらず、3シリーズの占める割合は減っているかもしれません。当時の販売台数から比べると現在の方が多くなっており、どこでも見かける光景なのです。都内の流通台数も1980~90年代に比べて圧倒的に多いでしょう。
それは、六本木だけ流通台数の多かったカローラ現象が、全国の都心部まで拡大しています。

バブル層だけに広まった「3シリーズの六本木カローラ」現象が、趣味や自動車志向の多様化により、中間所得層にも広まったことを意味しています。

六本木カローラのまとめ

バブル期を謳歌した世代でないと、当時のバブリーな状況は理解できないかもしれません。まだ、外車が珍しかった時代に、六本木という限られた地区で、一般的な大衆車のように当たり前に見られたBMW E30型。この比喩は、当時のバブル期、バブリーな状況を形容する代名詞となっています。
現時点では、当時よりも販売台数が多い状況ですが、それだけ高額な欧州車に抵抗なく所有できる環境(ディーラー店舗の充実、故障率や維持費の低下)となったと言えます。
当時は、左ハンドルが主流でしたが、現在は、右ハンドルが主流となっていることも環境変化の現れです。この点でも日本市場全体が、六本木カローラ化したと言えるのではないでしょうか。

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